オリンピック

思い
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東京オリンピックでは酷暑の中、コロナ禍の中、様々な人の思いの中、開催されていますね。

世界中の選手達は長い年月の思いを胸に、金メダルを目指して戦っています。
その選手達がこれまで手にした物と失った物、今まで乗り越えてきた過酷な道と、これからの長い人生に起きる未知の試練。栄光と挫折という言葉では語り尽くせないほどの人生を思うと、私はいつも苦しくてオリンピックに歓喜できずにいます。

また、この大会の政治利用や利権構造の話題は事欠かず、やはりオリンピックもあり方を見直す絶好のチャンスが東京五輪だったように感じます。

ベルリンオリンピックは、ナチがユダヤ人等への差別的行為を世界に隠し、気付いていた国々も目をつぶり開催された。「オリンピックの火」をヒトラー政権は「聖火」と呼び、聖火リレーという形を始めた。それを今でも日本では神聖な物のように受け継いでいる。ホロコースト発言が問題になるならば、そもそも「聖火」という呼び方も考えなければいけないと思う。

ミュンヘンオリンピックではテロにより選手村で17名が命を落とした。このテロに日本は当事者だった。日本赤軍の解放も要求に入っていたから。

スティーブン・スピルバーグ監督の『ミュンヘン』という映画にもなった。

アトランタオリンピックでは死傷者111名のテロが行われた。

オリンピック開催中は休戦、停戦が呼びかけられる。しかし、今、何万人の人がコロナによって様々な苦しみの中にあり、医療現場ではまさに戦いが起こっている。

選手達の事を思うと複雑な思いはなお複雑さを増す。

どうか、これ以上、辛い局面に立たされる人が増えませんようにと心から祈るしかできない。

我が家の一角のツバメは無事に巣立った。

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